オードリーの危機を救った恩人・渡辺正行。M-1 2008に繋がる下積み時代のエピソードなどをご紹介!

2020年5月1日と6月19日に放送された『中居正広の金曜日のスマイルたちへ(通称:金スマ)』のオードリースペシャル。
そこで紹介されたので一般の方にも知られることとなりましたが、コント赤信号のリーダーこと渡辺正行さんはオードリーの危機を救った恩人です。
この記事ではオードリーと渡辺正行さんの関係性やエピソードを紹介します。

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渡辺正行とは?

渡辺正行さんは、日本のコメディアンで多くの芸能人から愛称:リーダーと呼ばれています。

来歴

明治大学在学中の1977年、劇団テアトル・エコー養成所に入所し、ラサール石井さん、小宮孝泰さんとコントグループ「コント赤信号」を結成。その後、1980年に関西テレビ制作の『花王名人劇場』でデビューし、暴走族コントなどで人気を博しました。

活動

若手お笑い芸人の育成に非常に力を入れており、所属事務所の枠を取り払った間口の広いお笑いライブ「ラ・ママ新人コント大会」を1986年から主宰。
同ライブにはウッチャンナンチャンをはじめ、ダチョウ倶楽部、爆笑問題、海砂利水魚(現:くりぃむしちゅー)など、のちの人気お笑い芸人たちも多数出演していました。

M-1グランプリでも何度も審査員をつとめています。

余談ですが、バナナマンの設楽さんはかつて渡辺正行さんの付き人をしていました。

オードリーと渡辺正行の出会い・エピソード

出会いとアドバイスの日々

オードリーと渡辺正行さんとの出会いも、先に述べたラ・ママでのオーディションでした。
当時のオードリーは、現在に通ずるズレ漫才の原型を作り上げていましたが、周囲からの評価がまだ芳しくないというような状況。
ズレ漫才を思いついたときは「売れちゃう!」と興奮していた若林さんでしたが、再び自信を喪失し、解散を考えていました。

失意の中にいたオードリーでしたが、ラ・ママのオーディションで披露したオードリーの漫才を見た渡辺さんは「これはM−1決勝にいけるネタだよ。」と、なんと高評価。
若林さんは自信を取り戻したようです。

そこから渡辺正行さんは、ライブに毎月のようにオードリーを出演させました。
毎月のアドバイスの日々を経て、”M−1 2008準優勝”という活躍に至ったのです。

金スマSPで若林さんは「無名でずっとスベってきた奴らは、誰かが(面白いという)ハンコ押してくれないと(自分たちの笑いが)良いものだとは思えない。リーダーが最初にハンコを押してくれた」と語っていました。

リーダーに褒められた日、若林さんは原付で帰っていて、泣いていたのでフルフェイスが蒸気で曇って電柱にぶつかりそうになって死にそうになったそうです。

当時のオードリーへのアドバイス内容

オードリーは他のライブでは全然評価されずにいたんですけど、僕らの「ネタ見せ」に来て漫才を見ると、漫才として出来上がっていたんですよ。
「君ら技量としては『M-1』を目指せるくらいの漫才だよ」と。ただ、春日くんがボケると若林くんが額を叩く。ボケる、ツッコむで全部叩くから、春日くんのこめかみが赤く腫れてくる。「それだとお客さんは引いちゃわないか?」って聞いたら「ウケるときはウケるけど引くときは引いちゃいます」って言うから、「『これはネタだからこういうふうにやってるんだ』ってなにかで見せられないかな」って言ったら、次にもってきた漫才に「お前それ本気で言ってるのか?」「本気だったら2人で漫才やらないよ」「エヘヘ」って笑うくだりを入れてきたんです。「ああ、そういう感じ、そういう感じ。そしたら柔らかく見えてくるから」って。

引用元】“東京芸人のリーダー”渡辺正行が若手芸人たちに教えるたったひとつのこと

訂正:「えへへへへ」の笑い合いのくだりはリーダーに出会う前から元々あった!

2021年8月28日に放送されたオードリーのオールナイトニッポンで、ズレ漫才の笑いのくだりはリーダーに会う前から元々あったということが発覚しました。

これまでの定説が、若林さんの口から正式に覆されました。

正式には「笑い合う回数を増やすようにアドバイスした」のが渡辺正行さん(リーダー)だったようです。

売れる前からオードリーと仲の良いサトミツ さんもTwitterで言及していました。

このあたりのエピソードはこちらの記事にもまとめています!

オードリーのズレ漫才誕生秘話!「えへへへへ」と笑い合うくだりを始めた経緯などもご紹介

M-1グランプリ2008での審査

ラ・ママで渡辺さんにアドバイスを貰い続け、敗者復活から勝ち上がったM-1グランプリ決勝。
審査員席には恩人の渡辺さんもいました。

「リーダーは1票は入れてくれるだろう」と思っていたオードリーでしたが、渡辺さんが投票したのはなんとNON STYLE。
純粋に決勝で良い漫才をしていたのはNON STYLEだったという判断だったようです。

「敗者復活」で上がってきたとき(2008年)、審査員でいたんですよ。そこでやったときに最初の一本目がダントツに面白くて。そこで出し尽くした感があって決勝ではいまひとつになっちゃって優勝はできなかったんですけどね(笑)。でも上がってきたのは嬉しかったですね。「キタキタキタ!」って。

【引用元】“東京芸人のリーダー”渡辺正行が若手芸人たちに教えるたったひとつのこと

さいごに

渡辺正行さんとオードリーのエピソードをご紹介しました。
リーダーは色眼鏡なしで若手のもつ実力を早い段階で見抜くことができる、業界でも貴重な存在なんですね。そしてじっくりとアドバイスしながら育てる懐の深さもある。
いろんな人に慕われているのも納得です。
金スマでの若林さんのコメントからも、本当に感謝している事が伝わってきました。

ファンとしても、オードリーの解散の危機を救ってくれた恩人ですので、本当に感謝ですね!

その他、オードリーと関係の深い人物の紹介記事はこちらです。ご興味ある方はぜひお読みください!

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